ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

腐女子のさだめ

アンドロイドテレビにアマゾンミュージックを入れてくれたことが、私の二次創作生活にとてつもない恵みをもたらしたことを、夫はたぶん知らない。

あなたも腐女子なら「この曲がイメソンに聴こえるとは、私の頭もだいぶ仕上がってきたな」という曲のひとつやふたつあるだろう。(神宮寺寂雷風)

私はやっぱり「ここでキスして。」とかそのあたりだろうか。女子高生が主人公のあの唄が三十代男性の心情に聴こえるなんて、これはもう最高にどうかしている。スマホで妄想を打つ手も捗るというものだ。このごろでいえば「幸福論」もすごかった。むちゃくちゃ推しだった。あんなに「幸福論」がしっくりくる男に腐女子人生で初めて出会った。

さも、たくさんあるお気に入りのうちのふたつがたまたま椎名林檎でした。みたいな体で曲名をあげたが、私の二次創作生活において、椎名林檎あるいは東京事変がもはや欠かせない相棒となっているのは目を背けられない事実だ。

イメソンっていいものだ。音楽は大体およそ5分以内に世界観や物語が凝縮されている。(それもこうして改めて書くととてつもなく偉大なことだ。)一曲、推しや推しカプに合うものを見つけて妄想をすれば、つぎその曲を聞くだけで、いちばん精度の高い妄想をなぞることができる。同じ曲をなんども聞けば、妄想をいちいちピークまで練らなくとも、精度の高い妄想だけに浸れてテンションを維持できるから、日をまたいで小説を書くときはとてつもなく助かる。イメソンは妄想のラベルであり、日常に忙殺される腐女子よすがである。寝付けない子どもにとんとんとんとんひげじいさんを30回くらい唄っていた私でも、椎名林檎の「旬」を耳にすれば、推しと推しの好きな男の恋愛世界にトリップできるというわけだ。ほんとうに夫には感謝しかない。アマゾンミュージックがなかったら、子育てに追われる私の二次創作はこれほど捗らなかったろう。

自分の小説を客観的に見ることはできないが、おそらく私の文章は「あ、こいつ椎名林檎好きだろうな」というのがありありと出ていると思う。いまでこそ、ひらがなを多めに書こうと心がけているが、昔はそれこそ仮名遣いも見るからに椎名林檎だった。「此れ」とか「其れ」とかそう云う奴だ。それは隠してないし、隠そうと思ってない。「椎名林檎好きでしょ」と言い当てられたら「はい、好きです」と言う。

でもよく考えてみると、小説の文章の構成に椎名林檎がにじみ出るって、すごいことではないだろうか。たぶん私の書いた小説に椎名林檎は見出だせても、私の好きな小説家はでてこないだろう。好きな小説家を語れるほどこのごろ本を読んでないが、3人あげろといわれれば、桐野夏生姫野カオルコ山田詠美あたりだろうか。5人あげろといわれたら、これに太宰治谷崎潤一郎を加える。自分で買ったわけではないが、こどものころ家にあったのを読んでいた時期があったから、花村萬月にはそれなりに親しみを感じてもいる。あれ?やっぱりにじみ出ているか?あとこれに源氏物語を混ぜたら、もう私の書く小説になるかもしれない。

このほど、私は推しの女体化小説を書き上げた。5万さんに「きっとヨエさんは推しの女体化を書くと思う」と言われていたし、自分でも「きっと私は推しの女体化を書くだろうな」と思ってはいたが、予想以上に手を出すのが早かった。

推しがもし女性だったらどうだったろう、と軽い気持ちで書き出したのに、終わったら14,000文字を越えていた。そしてものすごく後味の悪い話になった。

私は好きな男をすぐに女体化してしまうややこしい性癖の持ち主だ。しかも、これまで男の推しをわざわざ女体化して、いやな思いしかさせたことがないといっても過言ではない。

これっておかしいよなあ、と今回書き上げてから思い始めた。いや、わざわざ女にするなら幸せにしてやれよ、と。以前はこんなこと考えたこともなかった。ここまで感じるのはやはり推しが実在する人間だからだろうか。この話は、また今度きちんとしたい。

ひさしぶりにエロくない小説だったからか、筆が進みに進んで、なんだかスクロールするのが大変だなあと思っていたら14,000文字だった。どエロい小説だとこうはいかない。10,000文字を超えるまえにしんどくなってくる。

私にとって性描写は、頭も労力も使うものらしい。ずっと同じものの描写になるので、息抜きができないのかもしれない。

性描写のない小説だと「その日は雲ひとつない晴天で」とか、天気や空間の話をやりとりの途中に挟める、つまり視点を自由に変えられるわけだが、性描写中にそれをやると行為自体が終わってしまう。いや技術があれば挟めるのか。まあでも性描写は接写で書いておくのが無難ではないだろうか。AVも意味もなく引きの映像を入れるのは作者のひとりよがり、よほどうまくないとダサいと聞いたことがあるし。

だがこうして書いてみると、私はちょっと接写しすぎかもしれない。「どうせみんなそんなに関心ないでしょ」と踏んで、受けである推しのちんこをほとんど描写しないまま行為が展開するくらいだ。今度そこらへん意識して書いてみたい。

以前ブログで、過去に二次創作で文学(笑)や自己表現(笑)をしていたことがいまは恥ずかしいと書いたが、二次創作に限らず、あらゆる場面での自己表現をやめたらものすごく楽になった。

これはたぶん出産後の変化だろう。

なにか自分のなかで大きな意識改革があったとかではなく、単純に環境の変化と、ものすごく忙しくて『なにを選ぶのが私らしい』か『これを言ったらこう見られるだろう』とかを気にする余裕がなくなったのだ。

過去の私は、絶えずそう自問自答していた。

もののたとえでなく、朝起きてから夜寝るまでずっと、だ。選択の積み重ねが己を作ると信じていたし、どんな些細なことも『自分らしいか』『これで自分とはどういう人間かまわりに知らしめることができるだろうか』みたいなことばかり重要視していた。それこそ着るものから食べるものから言葉選びまで。『〇〇を選ぶ〇〇な自分』というラベルをありとあらゆる場面でずーっとつけて剥がしてつけて剥がしてを繰り返していた。『私はこういうひとです!』と常に自己開示と自己主張という形の自己表現をしていないと、自分というものが保てないと思っていた。ふっと息をついて自己発信をやめたその瞬間、誰かに己を剥奪されたり、うまくまるめこまれたり、いいように利用されると思っていた。この行為が、環境の変化などによって行えなくなると、私は完全に自分を見失って破綻するほどだった。

ひょっとしたら、なにかの病気だったかもしれない。

専業主婦のいまとちがい、社会に出て働いていて、職場で平均的なストレスにさらされ、決断を迫られ、自分自身でなにかを考えたりすることを求められる場面がいくらか多かったにしても、すこしおかしかったように思う。おそらく仕事が原因でもないだろう。私は母親から離れて子どもを産むまで、ずっとそういう人間だった。

折に触れて『私とはなにか』を主張し続ける人間は、はたから見ればさぞひとりよがりに見えることだろう。でも本人は必死なのだ。当時の私にとってひととのコミュニケーションというのは濁流のようなもので、私はこういう人間です!あれにはイエス!これにはノーです!と死にものぐるいで主張しないとその場に立っていることすらできなかった。

子どもと接していると、私が主張していた己とは一体誰で、なんだったのだろうかと思う。

子どもは、私がデブだろうが痩せていようが、肌がきれいだろうが汚かろうが、髪が短かろうが、長かろうが、ちびだろうがデカかろうが、一重だろうが二重だろうが、鼻が低かろうが高かろうが、声が低かろうが高かろうが、賢かろうが馬鹿だろうが、気が利かなかろうが、元気だろうが眠かろうが、毎日おなじように接してくる。変化があるとすれば子ども自体の機嫌であって、私を見る目は変わらない。なぜか。私がこの子の母親だからだ。ただそれだけのことだ。ただそれだけの、しかし永久不変の事実だ。

以前、推しのnoteで「未来の自分を読者に想定してこの日記をやっている」という文章を目にしたとき、私は最初自分の気持ちをうまくことばにすることができなかった。やっとたどたどしく表出したのは、推しがまぶしいということと、それからおどろくことに、すこしだけ妬ましいという気持ちがあった。なぜそう思うのか。またしばらくはわからなかった。

(以前読んだ10年ちかくまえの彼のブログを、私は『宛名のない手紙』と言ったが、あれはほかならぬ彼自身へ宛てた手紙だったのだ。)

「ああ、彼は過去を破壊しないで生きていて、これからもそう生きると決めて疑ったこともないのだ」

数日経ってそう気づいたとき、私は彼のその強さや屈託のなさ、健全さがうらやましく、そしてもっと好きになって、もっと遠くなった。

それと同時に、私という人間が「過去を否定し、破壊しなければ、未来を生きることはできない」と思い込んでいたことにも気づいた。

過去は過去。現在は現在。未来は未来。

けれども絶えず同じ方向に時間は流れていて、過去の行いがいまに影響を及ぼし、やがては未来になる。過去を破壊しなくとも、時間は進む。自分自身が誰で、なにものであるのか、どこかに主張などしなくとも、それはつねに人生に寄り添っている。いま目の前にひろがる世界こそが過去の行いの集大成であり、自分自身だと。自分自身なんて、ただそれだけのことだと。

そんな当たり前のことを、私はこどもを産むまで知らなかった。

私は自分が好きではなかったか、自分に過剰な期待をかけていた。この自分ではない、この自分でもない、といつもどの瞬間も、自分を否定し続けてて、どこかにある根を下ろして落ち着ける満足のいく自分をずっと探していた。だから新しい自分をいくつも作りあげては、外部に向かって発信し続けなければならなかった。でないと自分を保てなかったし、それを繰り返していけば、やがては納得のいく自分になれると思っていた。なれるわけないのに。なれるわけないから、最後には自分の手ですべてひっかきまわしてめちゃくちゃにしてしまう。

失敗した。やり直しだ。大丈夫、過去が間違っていると気づいた私には、未来がある、と。その繰り返しで生きてきたように思う。

私は推しのように昔のブログを残していない。みんな消してしまった。私には友だちが二人しかいない。みんな消してしまった。

自己開示、自己主張、自己表現。

どれも意思が強く自立していることばに思えるが、その実、他人がいなければ成りたたない、他者にとてつもなく依存している行為のことだ。

二次創作もそうだった。いつも自分の衝動を満たすためにはじめるのに、他者の関心や注目を得られたと気づくや、私は『理想の作家像』を作り上げ、それらしさを軸に活動してしまう。洗練されていたいおしゃれでいたい美しい文章を書きたい。虚栄心により衝動が濁って、最後には『理想の作家像』にしがみつくことに疲れて摩耗する。

私が人生をかけてやっていたことは『〇〇なひとに思われたい』『✕✕なとひとと思われたくない』という、ひとにどう見られるかどうかこだわっていただけだった。それだけがすべてだった。自分を保つための自己表現のはずだったのに、自己表現に終始してそこに自分はいなかった。

かつての私は『ひとに見られている部分』の自分にしか興味がなかったし、人間の本質というものはそれしかないと思っていた。瞬時に判断していち早く選び取る――いわばずっと早押しクイズをやっているみたいなかんじだ。人生がずっと早押しクイズというと、なかなか滑稽に聞こえるだろうけれど、実際は結構しんどい。慌ただしくて、虚しくて、なにも残らない。

ただ、とにかく早押ししないといけない、という気持ちが強いので、当意即妙というか、私はときどき瞬発的なセンスを発動することがあった。それはたぶんこういった、脊髄反射の生きかたをしていたからにほかならない。私を愛してくれたひとたちは、私の絶えず続く自己主張にうんざりせずに、きっとそういう「まぐれ」になにかを見出してくれたのだと思う。

けれどどうやら人間の生活は早押しクイズでないらしいと近ごろ思い始めてきた。早押しクイズがすべてではないらしい、というべきか。

選択肢にそのひとらしさが宿るのは、それはもちろんそうだろうが、選択肢を選び取ることそのものは本質ではないのだと、ほんとうに書いてても当たり前すぎることに、32歳にしてやっと気づいた。

私の選択は私の本質の氷山の一角にすぎない。私自身というのは私の過去・現在・未来の人生に寄り添っているだけで、確固たるものでもなく変質する。だれに訴えなくても自分は自分でいられる。だれにも脅かされない。そしてどんなに変質しても、こどもにとって母親であることに変わりはない。おそらくだが、夫と夫婦であることも変わりはない。私たちが家族であることを否定したり、破壊しなくても、きちんと未来はやってくる。

それがわかったいま、人生は穏やかで、推しはとっても素敵で、趣味が楽しい。

夫が私を支えてくれたから、子どものまなざしから私はそれを学び取ることができたのだ。そして、推しがそれを顕在化してくれた。ありがとう。私の家族。ありがとう。推し。

ながなが書いたが、自己表現から解放されたいま、二次創作がほんとうにめちゃくちゃ楽しい。なかなかトバしていると思う。

けれどこのまえどうしようもなく感想が欲しくなって、5万さんに

「マシュマロ(匿名メッセージを受け取れるメッセージボックスみたいなもの。誹謗中傷的な単語を自動でブロックしてくれるが、人間の悪意というものはプログラムを優に上回るので、やんわりとした言葉でいやなメッセージがくるときはくる)をつけたくて気が狂いそう〜!でもおそらくやってはいけないだろうなという気はしている〜!終わりの始まりだってわかっている〜!」

という相談をしたら

「ヨエさんの小説はジャンルのひとと関わるとつまらなくなる」

とものすごくはっきりと言われて大層笑った。あれはここ最近のなかでいちばんおもしろかったし、このひとは信頼に足る人物だと思った。ぜひとも天国に行ってほしい。

感想はほしい。それはやせ我慢できない。まだ誰も読まなくても書くという境地にはたどり着けない。

けれど、拍手やマシュマロなど、匿名で感想を送るツールは二次創作界隈にたくさんあるが、結局は名前をきちんと明記して発言に責任を持っている人物の感想のほうがよほど確かで、得るものが多く、なによりうれしい。それにもやっと気づいた。ありがとう、5万さん。

私はマシュマロの設置をやめた。