ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

不良の素養

ビー・バップ・ハイスクールを観た。

NETFLIXを解約しようかという話が家庭で出ている。

というか私がしたんだが、子育てに忙殺されてこのごろほとんど利用していないし、毎月支払うお金がもったいないので、6月いっぱいで一旦止めようか、ということになった。いまの私は推しの YouTube さえテレビで観れればいいという価値観に振り切っているので、いいタイミングかと思ったのだ。

それでビー・バップ・ハイスクールをなんで観たかというと。

私「じゃあ今月はNETFLIX強化月間だね。なんか観たいのある?」→夫「あ〜ビー・バップ・ハイスクール懐かしい……中学生のとき観たなあ」→私「若いころの仲村トオル観たい」

というわけだった。

このビー・バップ・ハイスクール、いくつも映画が作られてるんだが、私が観たのはボンタン狩りするやつだ。ボンタン狩りがこの字で合っているのかもわからないのだが、ボンタンというのは、改造した学ランのズボンのことらしい。

で、感想。

『こどもの喧嘩で映画一本やるのすげえ』

だった。

男子高校生の喧嘩で2時間やるのすごい。ほんとにただ喧嘩しているだけなので、場所を替えたりやりかたを替えたり、手を変え品を変えしてくれるんだけど、屠殺所?みたいなところで折った鉛筆を相手の口のなかに入れて顔をぶん殴るシーンとか

「なんのためにそこまでやる?お前らはなんなのスパイなの?なにか重要な秘密を握ってるの?親でも殺されたの?」

と完全に置いてけぼりを食らうことになる。

補足すると、彼らは学校で対立していて、メンツのために戦っている。そこまでする必要、ある?ないよね?

あとみんなときどき広島弁を話す。最初誰かが話し出して「ああ、方言キャラかあ」と思ったらどうやらそうじゃない。みんなしゃべる。ほんとにときどき急にやって、急にまた元に戻る。これ、なんでか夫に聞いたら

「当時の不良はみんな『仁義なき戦い』に影響を受けているから」

というので笑ってしまった。

『仁義』の影響は凄まじく、割と大事なシーンで

「仁義の〇〇のシーンで誰々はなんて言ってた?」

「追われる者より、追う者のほうが強いんじゃ!」

って言って主人公の二人の男の子が元気を出すシーンがあったりする。仁義なき戦いってすごいなあ。話は変わって、私は数年前、不良文化どっぷりなひとびとと関わる機会があった。

あのひとたちって、なんかやけに芝居がかっているというか、間合いが独特なところがあって、それは各々の個性なんだろうと思っていたんだが、ビー・バップ・ハイスクールを観て合点がいった。あれは個性でなくて素養だったんだと。彼らはああいう間合いや芝居がかったコミュニケーションでシグナルを出し、仲間と心地よく群れているんだ。

多分彼らから見ると、私のリズムや間合いやことば選びのほうがおかしかったんだろう。

たぶんビー・バップ・ハイスクールでいうところの「シャバ僧(根性がなくて不良が続けられない腑抜け、みたいな意味があるらしいことば)」ってやつだと思われていたんだろうな。

だからビー・バップ・ハイスクールをもっと不良文化どっぷりなひとと関わっている間に観ておけば、またなにかちがった交流ができたかもしれない、と思った。

いやそんなことないわ。きっとあいつら馬鹿にするわ。ビー・バップ観たの?まあでもやっぱね、仁義観ないとね〜みたいな。そんで一生終わんねえんだこのマウントが。でもやっぱり観ておけばよかったなと思う。『あるある』が語れたら、しばし楽しいひとときを過ごせたかもしれない。

でもやっぱり無理だね。だってバカだなと思ったもん。

ただ喧嘩しているだけで話の中身が薄いので、いまの私にはありがかったし、いうて青春モノなのでさわやかで爽快感があって面白いけど、キャラクターにはまったく共感ができなかった。バカなことをやっていると思って観ていた。でも不良って自分で自分のこと「バカだよな、俺」とか言うよね?だからいいんだよね?バカだなって思いながらめっちゃ笑いましたでよかったんだよね、この映画って。

かつて、自分はグレなかったけど、不良のメンタルがわからないこともない、と思っている時期が私にはあった。けれど、不良文化にどっぷり浸かったひととまったくことばが通じなかったときに、どうやら勘違いだったと気づいた。

貧しいことと、育ちが悪いことと、不良なことは、みんな似ているようでちがう。あとバカなこともだ。

私は育ちが悪かっただけで不良ではなかった。不良の間合いやドラマ、文脈を理解する能力がまるでない。

じゃあなんなのかといえば、結局腐女子なんだよな。腐女子ってそういう男の絆を十把一絡げみーーーんなセクシュアルに解釈して吸収しBLに再構築して排出してしまうからな。たぶん、私もきっと腐女子にはなんらかのシグナルを出せるのだろう。

私と不良の会話は、さぞかしちぐはぐだったろうな、といま振り返って思うし、なんならいま第三者になって、そのちぐはぐっぷりを聞いてみたい気すらする。

ビー・バップ・ハイスクールに話を戻す。中山美穂がヒロイン的なかんじで出るんだけど、これがんまーかわいい。私は若いころの野性味のある、ちょっとキッとした中山美穂が大好きだ。芸能界で洗練された中山美穂よりぜんぜんいい。

で、この中山美穂演じるヒロインにしろ誰にしろ、ビー・バップ・ハイスクールにおいて、女はあくまできれいな添えものでしかないんだよな。きれいでなければ笑いもの。

私と不良の会話がまったく噛み合わないのも、私が男同士のやりとりを腐女子的にしか解釈できないのも、身も蓋もない言いかたをしてしまえば、結局は不良の世界では女が添え物で、人間と思ってないからなんだよな。不良でない男だって、男同士の世界には決して女を立ち入らせない。

不良に限らず、女が介在しない、できない、男同士の交わすなにかに対峙したとき、腐女子の私はBLの方程式しか持ってないから、それで処理するしかないところもあるんだと思う。

あとなんか、持て囃したくないんだよな。「男同士にしかわからない絆ですよね〜」とか言いたくない。高尚なやりとりだって持て囃したくない。だってくだらないって思うから。だったら「いやぜったいセックスしてるっしょ」って言いたい。なんか「どうせお前ら女にはわかんねーよ」みたいなかんじもムカつくし。

ちなみに、仲村トオルはめっちゃかっこよかった。背が高くて、シュッとしていた。中山美穂は、欲を言えば清楚なヒロインではなく、スケバンみたいなかんじのほうがよかったと思った。顔がキリッとしているので。

あんなこどもの喧嘩で映画一本どころか何本も作れるんだから、きっと監督にも不良のメンタルが宿っていたにちがいない。

私も腐女子のメンタルで、推しが男とセックスするだけの話で一本どころか何本も書きたいものだ。