ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

また同じ後悔をする。

このところ、二次創作をしたいという欲求がまったくなくなった。推してたアイドルがすったもんだして魔改造して影も形もなくなった、というのがベースにあるんだけど、体調を崩してからずっと安定がしないだとか、私生活がバタバタしているだとか、いろいろ加味されたのもあってか、まったくそういう意欲がなくなった。

でも、以前の私だったらいちばん推してたアイドルが魔改造して推せなくなろうが、きっとまた別の対象を見つけ出したろうし、具合が悪かろうが日常に忙殺されようが、頭のなかに絶えず文章はあったと思う。いまはまったくそれがない。頭のなかがものすごく静かで、いまここには私しかいない。

創作をするとき、どんな風に書く?という話を二次創作作家はしばしばするんだけど、私は言うなれば憑依型というやつで、小説を量産しているときはその人物やキャラクターが頭のなかにいて、その視点で考えたりものを見たりして、感じたことを書いている。これはフィルターという言い方もできて、そのキャラクターや人物の視点のフィルターさえ通せばなにげない日常もすべてネタになる。もちろん、頭のなかにいるそのキャラクターや人物も、私が公式の情報から作り出したものに他ならないんだけど、これまで作品にもらった評価を見るに、ある程度の精度はあるというか「っぽさ」はあるみたい。私が短期間で作品をものすごく量産するのは、おそらくこういう書きかたをしているからで、いつでも手の届くところに対象のキャラや人物っぽい考え方、捉え方、単語を置いて取り出せるようにしておかないと、感覚が薄れてしまって、その思考方法ができなくなってしまう。こう書くと、創作というのはつくづく体力がないとできないものだと思う。お金はかからないんだけどね。

創作の趣味を再開してから、いろんなことがあったというか、数人の人間と衝突した。私はそのたびに「ずっと小説を書くためにどうするか」自問して、衝突した人間のことは全て切り捨てた。いまでもその判断に後悔はない。切り捨てられない人間もいた。匿名でいちゃもんをつけてくる輩だ。そういう連中をふるいにかけるための対策もいくつかした。いつだって「ずっと小説を書き続けたい」とやったことだった。魔改造したアイドルのことも、いつ切り捨てるべきかずっと考えていた。しんどくなるまで追い続けてはいけない。二度と小説が書けなくなってしまう。推しているアイドルが嫌いになるより、小説が書けなくなることのほうがずっと怖かった。小説を書くことが大好きだからだ。

でもいま、私の頭のなかにはだれもいなくなり、なんのことばもなくなった。私はいまシーンとした世界にひとりきりでいる。でも、さびしくはない。あれほど小説を書けなくなることに怯えていたのに、実際書かなくなってみたら、なんとも思わなかった。過去に自分が書いたものを読み返しても、とくに感慨も湧かない。

でも、なんで書けなくなったのか。それは不思議だった。だって私は小説を書くのが大好きで、自分の書く小説が大好きで、なによりも守りたいものだったはずだった。

そうしてまた私は、かつて何度もした後悔に苛まれるのだ。

ああ、だれかのために書いてしまっていたな、と。

だれかに頼まれたわけじゃない。私が勝手に、気づけば無意識に、だれかのために書いてしまっていた。感想をくれるひとに向けて、マシュマロをくれたひとに向けて、公式の展開に心を傷めたひとへ。そうして勝手に疲れて嫌になってしまったのだ。

反応をもらえばうれしい。感想をもらえばうれしい。でもそのために書いてはいけない。

何度も何度もやって、また同じ失敗を繰り返している。二次創作は他人のためにするものじゃない。自分のためにするものだ。それを忘れるとたちまち痛い目に遭う。

私はたぶん、またいつか小説を書くと思う。そんなに長い休みではなさそうな気もしている。でもしばらくは時間がかかりそう。自分の書きたいことばや物語を、また探し出す時期が来たみたいだ。

 

所有の喜び

気がついたら一年近く更新してなかったので、ざっとこれまでのあらすじを話すと。

推し活をしてそこから派生で腐女子をしていた私は、べつに孤独にやってりゃ良かったのに、ひととつるみ出したら案の定楽しくなくなって、それを機に宗旨替え。その合間に存在も知らない身内(故人)の借金を押し付けられそうになって必死こいて相続放棄をして、そうしたら宗旨替えして推していたアイドルが(推しカプの攻)が脱退したりしていた。え?かわいそうじゃね?普通に。だって宗旨替えしてなかったらいまも楽しくやってたかもしんないんだよ?ほんとにマジでおなじ界隈の腐女子ってつるんじゃだめ。百害あって一利なし。慕ってくるひとがいても近寄っちゃだめ。騙されんな。向こうはお前のことなんかどうでもいいと思ってる。感想をあげればズリネタをくれる、くらいにしか思ってないし、その程度の興味しかない。

ていうかそうでなくても普通にかわいそうじゃね?知らない身内の借金払えって手紙来てみな。まじで。死にたくなるぞ。自分の血とか運命とか呪いたくなるよ。せっかく、親とか親類とかと縁を断ち切ってさ、結婚して子ども産んで、曲がりなりにも幸せになろうとしてんのにさ、そうやって過去が降りかかってきてみな。立ち直れないよ。結局自分はこのクソみたいな因果に飲まれて生きるしかないのかって思うよ。這い上がれねえのかって。みんなほんとにさあ、きれいに生きよう。きれいに生きるってどういうことかって?他人に迷惑をかけない、犯罪をおかさない、そして戸籍を汚さない。これがきれいな生き方よ。自由に生きたいやつは結婚すんな。子孫を残すな。避妊をしろ。それができないなら死ね。それもただ死ぬんじゃない。だれにも迷惑をかけないで死ぬんだ。つまりね、消えろってことよ。アウトロー気取って自分がやったバカなことってね、みんな戸籍を伝って親類に跳ね返ってくるよ。人間の命題は、だれにも迷惑をかけないで死ぬこと。これよ。これに尽きる。そこに向かって生きる。人生ってこれだよ、ほんと。結局この相続放棄だって「私の因果でこどもに迷惑はかけれない」で乗り切ったんだから。それしかねえよ逆に。だれにも迷惑をかけないで死ぬ。これが大事よ。なにをしたかとか、だれに愛されてたとか、そんなんべつにどうでもいいから。

そんなの簡単じゃんって思うひとはこれからもそのままでいいし、どうしよう難しいかもってやつはすぐ消えろ。跡形もなく。そっちに向かってがんばれ。

まあとにかくさ、絶望してたんだよね。仲良くなったひとにはひどいことされるし、宗旨替えもある意味では間違えた。(好きなんだけどね、安らぎを得たいという意味では完全に間違えた。でも宗旨替えするまえの界隈、まじで頭おかしいっていう気持ちもある。)それで会ったこともない身内の借金払えじゃん。ふざけてんのかよって。

だから、今年の一月から新しい趣味として編み物初めたんだよね。なんかそういうのが必要と思ったんだよね。他人を拠り所にしないものが。

毛糸って良いよね。買えば脱退も匂わせも蛙化もしない。私の夫は最近まで無職で、こどもがそれのせいで保育園クビになりそうで、それも夜通し歯噛みして泣いたくらい悔しくて辛かったりもしたんだけど、毛糸はべつに目のまえにあってもきれいなだけで働かなくたって腹も立たないじゃん?いやもう、さらっと書いたけどこれも大変だったのよ。大変だったの、まじで。これもなんか自分の業みたいなもんが子どもを飲み込んでしまうのかってしんどかった。何度も言うけど、ひとはひとに迷惑をかけない努力をして生きるのが大事だよ。消えない傷ができたよ。それができないやつは半人前だからまじで。好きに生きる権利ないよ。ひとに迷惑をかけなくなって一人前になって初めて自由があるのよ。ほんとに。

私がこれまで喰らってきた傷って、たぶん一生残る。時間とともに癒えないわけではないけど、傷ついた記憶は消えない。傷跡は残る。ぐしゃぐしゃにされたまま、ぐしゃぐしゃにされたものを、なんとかきれい風にして生きている。でももう最初の状態には戻らない。でも歳月ってそういうものだからね。それはもういいのよ。私がそのぐしゃぐしゃな心をひとに迷惑をかけるために使うのではなく、ひとに優しくするほうに使えばいいわけ。これって良いこと言いたくて言ってるんじゃなくて、もうそうしていくしかないんだって。自分のなかでぐるぐる苦しんでても辛いから、排出するときにいいエネルギーにして行かないと報われなくて辛いだけなんだよ。だからだれかに優しくしたって、べつにぜんぜん幸せとか感じてないよ。

義務でやってるだけよ。楽になりたい、みたいなのにも似てる。そうやってまともなひとの循環に乗ってかないとさ。自分の因果にまた飲み込まれるからやってるだけだよ。未来を見据えて前を向いて生きていかないとね。

編み物はいいよ。下手でも失敗しても、みんな自分のやったことだから。そういうところが好きなのかもしれない。だれにも足を引っ張られない世界よ。現在過去未来、東西南北、前後左右、ただただ自分がいるだけって。そういう感じがする。できたのをインスタとかに載っけんのは楽しいけど、べつに編みたくなくなったらやめればいいしね。あと矛盾するようだけど、編み物界隈の人間は全員初心者に優しい。腐女子の世界と違って、最初ちょっとびっくりしたし、なんならいまもちょっとびっくりしてる。

 

AV女優たちとの思い出

はじめに言っておくけど、これべつにぜんぜんエロい記事じゃないんだ。

最近、推し活が高じて知り合ったひとが、ちょっと話したらたまたま私とおなじ自閉症児のママで、そこから親しくなった。

推しのことはもちろん、自閉症児子育てあるあるや苦労や将来の不安なんかを話すうちに、かなり込み入った話題もするようになって「大変なんだね」なんてお互い励まし合っていたんだけど。

最近、私のもとに家族にまつわる降って湧いたゴタゴタがあって、それを近況をかねて彼女に話したら、それまでの態度を一変させて、端的に言うと「聞きたくない」と言われてしまった。

とてもびっくりした。

「そういうことはひとのひきだしを開けてしまうこともあるから言うべきではない」「会話を楽しみたいのにそういう話をされると困る」「どういうリアクションを求めているのかわからない」

とまあコテンパンだった。

というのも、それまで彼女のほうは私にいろんなことを話してくれていて、だから「ああ、こういう仲良くなりかたなのかも」と思っていたのもあって、もうあっけにとられてしまった。

え?ダブスタじゃない?と思わなかったと言ったら嘘になる。けど、それってどうしてもどうしても彼女に話したいことでもないし、聞きたくないって言っているひとに無理に話すことでも、聞いて欲しいことでもないし、人付き合いの大原則として「ひとの嫌がることはしてはいけない」ので、まあそれはしょうがないよな、と彼女にはきちんと謝罪した。

翌日になって、彼女から長い長いラインが来て自分のいまの状態的に受け止められなかったと謝罪があったけど、相手の状態に関係なく、やはり「ひとの嫌がることをしてはいけない」ので、そこはあんまり関係ないなと思いながら、改めてまた文章でも謝った。

話したときのテンションは、結構その降って湧いたゴタゴタに振り回されて落ち込んでいたので、ショックを受けなかったと言ったらそれもまた嘘になるけど、べつに彼女が親身に聞いてくれようがそうじゃなかろうが、私がゴタゴタを回避するにあたっての負担とか、出自の残念さって変動しないから、あんまり引きずらないようにした。息を止めて感情を止めて、淡々とこなしていこうと思う。

ただ気になったのは。

彼女が私に話してくれたのは旦那さんとの関係や恋愛の話で、私が話したのは家族というか自分の家系?のことだったんだよね。

私、このふたつって同じカテゴリだと思っていたけど、ひょっとして彼女にとってはちがったのかな、ということ。

彼女にとっては旦那さんの話題より、家族の話題がタブーだったのかな、というのが気になった一点。

ちなみに私は自分のもともとの家族を捨てたといっていい人間で、それもあってか

「家族は捨てたしうちの家族は揃いも揃って全員カス」

って話題と

「結婚してこどももいるけど、旦那のことはもう好きじゃないかもしれない」

だと、後者のほうがタブー感強めだなあ、と思う派。だって、いまも一緒に暮らしてんだよ?そんな悲しいことないじゃん?

かといって、べつにそういう風に思うひとを否定したり責めたりもしない。気の毒だなあって心が沈んじゃうのはどちらかというとこっちというだけだ。

でもこれって、過去か現在進行形かのちがいかもしれない。私はもう終わったことだと思っているけど、大抵のひとにとって、家族は現在進行形の課題だったり問題でもあるわけだから。

そう思えば、まあ感覚的なことだから『わかった!』とはならないけど、まあしょうがないかなと思う。

もう一点気になったことは、彼女にオブラートに包んでいろいろな方向から指摘されたんだけど、どうやら私「ひととの距離感がおかしい」っぽい。

いやこれまでの人間関係からなんとなくそんな気はしていたんだけど、やっぱりだれかに指摘されると、そうか〜っていろいろ考えざるを得なくなってくるよな、と。

私はとても人見知りな人間なんだけど「人見知りなんです」と自分で言って、まあまず「そうなんだね」とは返ってこないタイプ。

初対面のひとでもこんにちはって挨拶するし、にこにこするし、簡単な会話くらいならできる。ちょろいひと相手になら、優しいって思ってもらえるくらいの態度は取れる。

でも私のことをこどものころから知るひとなら(そんな人間ももうほとんどいないが)、私がすごく人見知りというのは理解してもらえるはず。むかしの私はひとまえで全くしゃべれなかったから。

なぜ、めちゃくちゃ人見知りで初対面のひとはおろかクラスメイトすらろくにしゃべれなかった人間が、おとなになったいま社交的になったのか。

とくになにか大きな変化があったわけではない。

今回考えてみたけど、家族と良い関係を築けなかった私にはおそらく社交のグラデーションというか、段階、あるいは線引き、みたいなのがないんだと思う。

スイッチをオンオフするみたいに社交と人見知りを切り替えているだけ。

人見知りは防御で、社交は攻撃で。根本的な他人へのスタンスはなんら変わってない。

あとは見栄っ張り。こどものころなら人見知りで、で済むけど、大人になってそれじゃあだめだろって思うからやっている。ただそれだけ。

自分に社交の層みたいなのがないので、他人の人見知りの層みたいなのが見えないか、見えても「ここを突破しないと仲良くなれないなら早く壊そう」としか思わない。時間をかけるって考えがない。そもそも全ての人間関係は基本的にいつかは終わりを迎えると思っているので、早く仲良くなったほうが旨みが多いと思っている。結果を求めるし、そのための努力は惜しまない。そしてある程度の時間をかけて結果が出なかったら、つぎの結果が出そうなものに行きたいんだよね。

人間関係における結果とはなんなのか。書いていてわからなくなったけど、こういう嘘の人懐っこさで世の中を渡り歩いたらどうなるのかというと、あっという間にめちゃくちゃに親しくなって、あっという間に人間関係が終わります。

今回のことはたぶんそこら辺が良くなかったのかな、なんて分析する。

だから私に「ひとにヘビーな家族の話するのだめだろ。自分が話されたら困るだろ」って言ってもまったくピンと来ない。びっくりするしショックも受けるけど、私は普通に話を親身に聞けると思う。距離感がおかしいので。

で、ここからやっとタイトルなんだけど、むかしむかしにエロ本を作ってたことがあって。それはいわゆる編集者がハメ撮りするタイプのやつで、私は女性編集者兼撮影アシスタントみたいなことやっていた。

私、あれすごい楽しかったし、なにより女優さんのことが好きだったんだよね。だれがどうとかじゃなくて、女優さんという人種に会って、話すのがすごく楽しかったし、いま思えばラクだった。

やっぱりひとを魅了するお仕事だから、私も見事に惑わされたひとりであるというのはもちろん、今回考えたんだけど。

大人数の前で裸になって、初対面のひととセックスをしてっていう、あえてこういう言いかたをしちゃうけど

『ひととの距離感がバグッているひと(あえてバグらせたひと)』

と

『そのバグッた距離感を良しとする世界』

がとても居心地良かったんだろうな、と今回腑に落ちた。

そしてエロ本を経て、いま私は訪問販売?みたいな仕事をしているんだけど。

『ひととの距離感がバグッているひと(あえてバグらせたひと)』→知らない家のピンポンを押せるひと

と

『そのバグッた距離感を良しとする世界』→知らない家のピンポンを押して初対面のひととしゃべると褒められる。

見事にこれなんだよなあ。

 

 

おわり

声優のオーディションその後

このまえの記事のつづき。

まず、オーディションは第一次審査も通ったし、合格もした。

すごいでしょ?

そして本題はここからなんだけど、私が受けたオーディションはこれです。

 

ボイスアクターズプラネット

Voice Actors Planet

https://voice-actors-startup.com/lp/vap_b_day/

このオーディション、合格するとボイトレやらなんやらで、847,000円を払うように言われます。

リンク先見てもらえればわかるんですけど、いろいろやってくれるんですよ。

キャラ作ったりボイスドラマ作ったりライブハウスが無料で使えたり。

それをもろもろするのに847,000円かかりますよ、ということです。

リンク先にも、合格した場合、サポートにはお金がかかると書いてあるので、騙されたとかいうわけではないのですが。

事務所とかに所属できたり、なにかの役がもらえたりするわけではないです。

847,000円分のサポートが終わったあとのことを質問したら、かなりあやふやな説明でした。

まあそりゃそうだよね。向こうからしたらお金をもらった時点で終わりだもんね。

おそらくだけど、これは『声優になりたいひと』の心を満たすという、そういうビジネスだなのだろうな、というのが私の感想。ワナビービジネスというか。

いやーいまそういうのがあるのね。勉強になった。

そういうわけなんで、おそらくよほど経済力がないと見なされない限りは合格かと思います。

第一条審査通ったとき『あれ?これなんか?』と思って第二次審査のときに「どのくらいのひとが第一次審査を通ったんですか?」と聞いたら「半分くらいは落ちてますよ」という話だったけど。たぶんよほど問題がなければ通ります。

だから第二次審査はすごく楽しかったよね。

すごーくいい気持ちにさせてくれるのですよ。『あなたにとって声優のお仕事ってなんですか?』とか聞かれて笑

そりゃそうだよね。これから847,000円を払わせようと思っているわけだから。

話は逸れますが、ひとりの人間から847,000円引き出すってめちゃくちゃ緊張するでしょうし、払いますと言われたときはきっとすごく気持ち良いでしょうね。

そういうわけなんで、私は二次審査でディレクターというひとと楽しくお話をして、いい気持ちになって帰ってきて、ちょっと悩んだけど辞退しました。

子供がいるのに847,000円という大金はやっぱり払えないし、847,000円払ってこの工程を経て、自分が声優として847,000円以上稼げるかと考えてみたらまあ無理だろうなと思ったんだよね。

辞退をすればあっさり引き下がってくれるから、怖い思いとかはしなかったです。

このオーディションをやっても声優にはなれない、とは言い切れないけど(今後なるひとがいるかもしれないし、いないかもしれない。いまのところはいないよう)いまの時代、これで声優になれるひとは自力で発信してそれっぽいことはできる気がします。

あーでもね〜、スタジオとかでボイスサンプル作ってくれるのはでかいのかなあ。そういうのやりたいひとはいいかもしれません。

ひとつ言いたいことがあるとすれば、これオリジナルキャラクターを作ってくれるんですけど、声優になりたい人間はそういうの興味ないと思うよ、ということ笑

誰も知らないオリジナルキャラクターに声なんかあてても面白くないじゃん笑

みんなの知ってるあの作品、素敵なキャラクター、ドラマのある登場人物。そういったものに『あなたの声がぴったり!ぜひ演じてほしい!』っていうのが、声優になりたい人間の心は満たされるのよとは言いたいですね。自分とはかけ離れた性格や背景を持つキャラクターに寄り添えるかな、とかそういうのに憧れてるわけじゃないですか。

だからあなただけのオリジナルキャラクターを作ります、は大して惹かれるものではないですよ、とは言いたいです。

でも迷ったんだよね〜。

騙されているというか、先がないなというのは薄々思ったけど、それでも万にひとつの妄想に近い可能性に揺れたし、私は大学や専門学校に行かなかったから、そういう自分の人生?可能性?みたいなのにお金を使うっていうの、やってみたかったんだよね。

申し込んだの結構精神的にしんどい時期だったから、大金をかけるということで自分をかわいがりたかったのかもしれないね。

(これの一個前の記事を見ると、自分が大した人間じゃないと思いたかった、とかいうようなことが書いてあるけど、私の人生は基本的にずっとそれの繰り返しです。

大きな力とか存在に守られたいとかかわいがられたいとか、頼りたいとか大事にされたいとか、そういうのを無性に感じるときがあって、でもどうにもならないので自分で自分をなんとかしようとして、でもその欲求に完全に呑まれると自立して生きていけないので、自分で自分のほっぺを叩くように目の覚める状況を作ったり追い込んだりして『自分は大した人間じゃない』『私はひとに時間や心を割いてもらう人間じゃない。さもない存在だ。だから強く生きなきゃ!』って発破をかけて、ちょっと寂しく、だけどすんごい清清する!その繰り返しです。)

おとなになって大学の学部とか、専門学校の分野とまったく関係のない仕事をしているひとなんて、いっぱいいるじゃない?親に出してもらった何百万は良くて、これがだめなんてこともないと思います。自分が納得しているんならね。ただ悔いがないかをよく考えるのは大事。

だから、お金がめちゃくちゃあったら習いごとみたいなかんじでやったかもしれないね。でも847,000円あったらいろんなことできるなあってなった。歯医者行ったり保険入ったりな。こどもがいるというのもでかかった。

辞退してよかったです。

 

声優のオーディション受けてきた

面白半分で受けたし落ちるとわかってても緊張する。終わったいまでもまだ顔が熱くて高揚してる。なんなら落ちるとわかってても、とここに書いているけど、どっかで受かるような気もしてる。いや受かんないけどね。普通に考えて受からないけど、理屈と関係ないところで受かる気がしてる。でもそんなもんだと思う。自分の気持ちはそうとして、ここで受かっても落ちてもいい経験だと思う。受かったら受けて良かったし、つぎの審査が待ち受けている。そこでまたふるいにかけられる。落ちたら、他人にとって自分は大した人間じゃないって知ることができる。それはそれで、気が楽になる。生きる上で期待や可能性をそそのかされすぎて、人生の苦労の大半って、その目に見えない期待や可能性の重圧へのしんどさってときある。それが軽減される。だからきっと落ちたらそれなりにがっくりくるけど、気は楽になる。ひとはみんな自分の人生を生きてるけど、自分の人生が肥大しすぎるとひとは疲れる。私は気づくと人生が肥大しがち。うまくいってるとかいってないとか関係ない。勝手にフツフツと肥大する時期がある。暇なのか?散漫なのか?あと漠然とギャンブルがしたくなるときがある。そういうとき、たぶん昔は仕事をやめてた。でもいまの仕事はうまくいってるし、こどもがいるからどの道やめられない。仕事を辞めれなくて発散できなかったギャンブル欲がオーディションに行ったのかもしれない。いや、普通に資格取るとかしてよ。そこは。

総評としては楽しかった。ひとまえで台詞を読んで評価をされて。自分のために業界人が時間を取って、ボイトレもしてねえ34歳の子持ちのちょっと声優に憧れてるくらいの私の声を聞いてくれた。それだけですごいことだし、大勢の熱気に揉まれたのも楽しかった。良い経験だった。

オーディション受けるほど声優になりたかったの?って聞かれたら、え?みんななりたくない?って返す。みんななんかそういう非日常なものになりたいって妄想するでしょ?っていう。その程度のアレで受けました。申し込んだらオーディションしてくれるっていうやつだったからさ〜。

 

 

過去の自分と邂逅する

髪の毛を切った。かなり切った。とくに理由があるでもなく、美容院の椅子に座ったら、やっちまえ!みたいな気持ちになって「めちゃくちゃ短くしてください」と言っていた。だけのことなのだが、会うひとによって「随分短く切りましたね」のあとに「なんかあったんですか?」と探りのジャブをされたり、期待に満ちた目で「どうしたの?」と聞かれたりするので、ああ、なんか一エピソードいるくらい短く切ったんだな。と気づいた。自分では結構気に入っているが、おもしろかった感想としては「板前みたい」というのがある。

最近のビッグニュースといったら、新しい推しができたことにほかならない。

それもただの推しではない。知らないひとはいない大手事務所に所属する男性アイドルだ。自分があの大手事務所のアイドルにハマる日が来るなんて。思いもしなかった。人生はおもしろく不思議で、捉えようのないものだ。

自分としては「私の嗜好もついにここまで来たか」といったかんじなのだが、大手事務所のアイドルを好きになるという風通しの良さたるや。

自分では人生でもっとも危ない境地に立っていると思っているのに「最近、私J事務所の○○ってグループの○○好きで」と簡単にひとに言えてしまえて、簡単にひとに受け入れられることにびっくりする。

朝、職場のひとからラインが来て、なにかと思えば「4チャン出てるよ!!」だったりする。そういう健全な受け止めのされ方にハラハラする。

こんなにハラハラするのは結局私が腐女子的な目線で彼らを捉えているからかもしれない。かもしれないっていうかほぼこれか?これか。

私は相変わらず筋金入りの腐女子なので、彼らをもちろんそういう目でも見ている。さらっと雰囲気だけど小説も書いたし、もっとこってりしたのも今後書いていきたい。

でもふつうにアイドルとしての彼らを好きな自分もいて、そんな自分に驚くのだ。

最近思うのは、たぶんきっと私ってこういう人間だったんだろうな、ということだ。

自分はJ事務所のアイドルを好きになるなんてぜったいない。そういう人間だと思いこんでいたけど、結局それもみんな親に否定されたからなんだろうなとこのごろ思う。面と向かってされたわけではないが、横で悪し様に言われたりした。そういうことが多々あって、否定されたことにも気づかず、なんとなく自分はアイドルを好きにならないんだろうな、と思っていた。だから私はいま閉ざされた青春を楽しんでいるのかもしれない。

そしてそれと反するように、大人になって多少なりとも世の中の厳しさを知ったからこそ、彼らが眩しく映るのかな、という気もする。あんまり言いたかないが、やっぱり子どもを観るような目線で見てしまうときがある。そのわりに腐女子のフィルターで見てもいるわけだが。

ミッドサマー観た

観たんだけど、なんかもう評判が良すぎたね。ネタバレ観てないけどすごかったすごかったって聞きすぎて「あ、そういうことか」くらいの感じだった。観てる間ずっとすごいことが起こる!これからすごいことが起こるんだ!って身構えちゃってるのがだめだったんだと思う。映像とか音楽はすごくきれいだった。

私は嫌なこととか怖いことを、嫌なこと嫌だよね!!!怖いこと怖いよね!!!って描くのは芸術じゃなくて、人間の体験に頼ってるだけだろって考えを持っているんだけど、この作品はそういうところがすごく素敵だった。美学を感じた。微に入り細に入りこだわりを感じつつも、それがきちんと統合されて一本の作品に編み上げられている。繊細で美しい仕事が為されていた。

あとカスだな!こいつはカスだわ!ってやつがきちんとカスな目に合ってくれるのですっきりします。

これで私の正月休みも終わりだね……。

今年は映画たくさん観たいな。実際に観れるかはともかく、そういうことをまだ言って許される時期だから言いたい。というのはある。