ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

AV女優たちとの思い出

はじめに言っておくけど、これべつにぜんぜんエロい記事じゃないんだ。

最近、推し活が高じて知り合ったひとが、ちょっと話したらたまたま私とおなじ自閉症児のママで、そこから親しくなった。

推しのことはもちろん、自閉症児子育てあるあるや苦労や将来の不安なんかを話すうちに、かなり込み入った話題もするようになって「大変なんだね」なんてお互い励まし合っていたんだけど。

最近、私のもとに家族にまつわる降って湧いたゴタゴタがあって、それを近況をかねて彼女に話したら、それまでの態度を一変させて、端的に言うと「聞きたくない」と言われてしまった。

とてもびっくりした。

「そういうことはひとのひきだしを開けてしまうこともあるから言うべきではない」「会話を楽しみたいのにそういう話をされると困る」「どういうリアクションを求めているのかわからない」

とまあコテンパンだった。

というのも、それまで彼女のほうは私にいろんなことを話してくれていて、だから「ああ、こういう仲良くなりかたなのかも」と思っていたのもあって、もうあっけにとられてしまった。

え?ダブスタじゃない?と思わなかったと言ったら嘘になる。けど、それってどうしてもどうしても彼女に話したいことでもないし、聞きたくないって言っているひとに無理に話すことでも、聞いて欲しいことでもないし、人付き合いの大原則として「ひとの嫌がることはしてはいけない」ので、まあそれはしょうがないよな、と彼女にはきちんと謝罪した。

翌日になって、彼女から長い長いラインが来て自分のいまの状態的に受け止められなかったと謝罪があったけど、相手の状態に関係なく、やはり「ひとの嫌がることをしてはいけない」ので、そこはあんまり関係ないなと思いながら、改めてまた文章でも謝った。

話したときのテンションは、結構その降って湧いたゴタゴタに振り回されて落ち込んでいたので、ショックを受けなかったと言ったらそれもまた嘘になるけど、べつに彼女が親身に聞いてくれようがそうじゃなかろうが、私がゴタゴタを回避するにあたっての負担とか、出自の残念さって変動しないから、あんまり引きずらないようにした。息を止めて感情を止めて、淡々とこなしていこうと思う。

ただ気になったのは。

彼女が私に話してくれたのは旦那さんとの関係や恋愛の話で、私が話したのは家族というか自分の家系?のことだったんだよね。

私、このふたつって同じカテゴリだと思っていたけど、ひょっとして彼女にとってはちがったのかな、ということ。

彼女にとっては旦那さんの話題より、家族の話題がタブーだったのかな、というのが気になった一点。

ちなみに私は自分のもともとの家族を捨てたといっていい人間で、それもあってか

「家族は捨てたしうちの家族は揃いも揃って全員カス」

って話題と

「結婚してこどももいるけど、旦那のことはもう好きじゃないかもしれない」

だと、後者のほうがタブー感強めだなあ、と思う派。だって、いまも一緒に暮らしてんだよ?そんな悲しいことないじゃん?

かといって、べつにそういう風に思うひとを否定したり責めたりもしない。気の毒だなあって心が沈んじゃうのはどちらかというとこっちというだけだ。

でもこれって、過去か現在進行形かのちがいかもしれない。私はもう終わったことだと思っているけど、大抵のひとにとって、家族は現在進行形の課題だったり問題でもあるわけだから。

そう思えば、まあ感覚的なことだから『わかった!』とはならないけど、まあしょうがないかなと思う。

もう一点気になったことは、彼女にオブラートに包んでいろいろな方向から指摘されたんだけど、どうやら私「ひととの距離感がおかしい」っぽい。

いやこれまでの人間関係からなんとなくそんな気はしていたんだけど、やっぱりだれかに指摘されると、そうか〜っていろいろ考えざるを得なくなってくるよな、と。

私はとても人見知りな人間なんだけど「人見知りなんです」と自分で言って、まあまず「そうなんだね」とは返ってこないタイプ。

初対面のひとでもこんにちはって挨拶するし、にこにこするし、簡単な会話くらいならできる。ちょろいひと相手になら、優しいって思ってもらえるくらいの態度は取れる。

でも私のことをこどものころから知るひとなら(そんな人間ももうほとんどいないが)、私がすごく人見知りというのは理解してもらえるはず。むかしの私はひとまえで全くしゃべれなかったから。

なぜ、めちゃくちゃ人見知りで初対面のひとはおろかクラスメイトすらろくにしゃべれなかった人間が、おとなになったいま社交的になったのか。

とくになにか大きな変化があったわけではない。

今回考えてみたけど、家族と良い関係を築けなかった私にはおそらく社交のグラデーションというか、段階、あるいは線引き、みたいなのがないんだと思う。

スイッチをオンオフするみたいに社交と人見知りを切り替えているだけ。

人見知りは防御で、社交は攻撃で。根本的な他人へのスタンスはなんら変わってない。

あとは見栄っ張り。こどものころなら人見知りで、で済むけど、大人になってそれじゃあだめだろって思うからやっている。ただそれだけ。

自分に社交の層みたいなのがないので、他人の人見知りの層みたいなのが見えないか、見えても「ここを突破しないと仲良くなれないなら早く壊そう」としか思わない。時間をかけるって考えがない。そもそも全ての人間関係は基本的にいつかは終わりを迎えると思っているので、早く仲良くなったほうが旨みが多いと思っている。結果を求めるし、そのための努力は惜しまない。そしてある程度の時間をかけて結果が出なかったら、つぎの結果が出そうなものに行きたいんだよね。

人間関係における結果とはなんなのか。書いていてわからなくなったけど、こういう嘘の人懐っこさで世の中を渡り歩いたらどうなるのかというと、あっという間にめちゃくちゃに親しくなって、あっという間に人間関係が終わります。

今回のことはたぶんそこら辺が良くなかったのかな、なんて分析する。

だから私に「ひとにヘビーな家族の話するのだめだろ。自分が話されたら困るだろ」って言ってもまったくピンと来ない。びっくりするしショックも受けるけど、私は普通に話を親身に聞けると思う。距離感がおかしいので。

で、ここからやっとタイトルなんだけど、むかしむかしにエロ本を作ってたことがあって。それはいわゆる編集者がハメ撮りするタイプのやつで、私は女性編集者兼撮影アシスタントみたいなことやっていた。

私、あれすごい楽しかったし、なにより女優さんのことが好きだったんだよね。だれがどうとかじゃなくて、女優さんという人種に会って、話すのがすごく楽しかったし、いま思えばラクだった。

やっぱりひとを魅了するお仕事だから、私も見事に惑わされたひとりであるというのはもちろん、今回考えたんだけど。

大人数の前で裸になって、初対面のひととセックスをしてっていう、あえてこういう言いかたをしちゃうけど

『ひととの距離感がバグッているひと(あえてバグらせたひと)』

『そのバグッた距離感を良しとする世界』

がとても居心地良かったんだろうな、と今回腑に落ちた。

そしてエロ本を経て、いま私は訪問販売?みたいな仕事をしているんだけど。

『ひととの距離感がバグッているひと(あえてバグらせたひと)』→知らない家のピンポンを押せるひと

『そのバグッた距離感を良しとする世界』→知らない家のピンポンを押して初対面のひととしゃべると褒められる。

見事にこれなんだよなあ。

 

 

おわり

声優のオーディションその後

このまえの記事のつづき。

まず、オーディションは第一次審査も通ったし、合格もした。

すごいでしょ?

そして本題はここからなんだけど、私が受けたオーディションはこれです。

 

ボイスアクターズプラネット

Voice Actors Planet

https://voice-actors-startup.com/lp/vap_b_day/

このオーディション、合格するとボイトレやらなんやらで、847,000円を払うように言われます。

リンク先見てもらえればわかるんですけど、いろいろやってくれるんですよ。

キャラ作ったりボイスドラマ作ったりライブハウスが無料で使えたり。

それをもろもろするのに847,000円かかりますよ、ということです。

リンク先にも、合格した場合、サポートにはお金がかかると書いてあるので、騙されたとかいうわけではないのですが。

事務所とかに所属できたり、なにかの役がもらえたりするわけではないです。

847,000円分のサポートが終わったあとのことを質問したら、かなりあやふやな説明でした。

まあそりゃそうだよね。向こうからしたらお金をもらった時点で終わりだもんね。

おそらくだけど、これは『声優になりたいひと』の心を満たすという、そういうビジネスだなのだろうな、というのが私の感想。ワナビービジネスというか。

いやーいまそういうのがあるのね。勉強になった。

そういうわけなんで、おそらくよほど経済力がないと見なされない限りは合格かと思います。

第一条審査通ったとき『あれ?これなんか?』と思って第二次審査のときに「どのくらいのひとが第一次審査を通ったんですか?」と聞いたら「半分くらいは落ちてますよ」という話だったけど。たぶんよほど問題がなければ通ります。

だから第二次審査はすごく楽しかったよね。

すごーくいい気持ちにさせてくれるのですよ。『あなたにとって声優のお仕事ってなんですか?』とか聞かれて笑

そりゃそうだよね。これから847,000円を払わせようと思っているわけだから。

話は逸れますが、ひとりの人間から847,000円引き出すってめちゃくちゃ緊張するでしょうし、払いますと言われたときはきっとすごく気持ち良いでしょうね。

そういうわけなんで、私は二次審査でディレクターというひとと楽しくお話をして、いい気持ちになって帰ってきて、ちょっと悩んだけど辞退しました。

子供がいるのに847,000円という大金はやっぱり払えないし、847,000円払ってこの工程を経て、自分が声優として847,000円以上稼げるかと考えてみたらまあ無理だろうなと思ったんだよね。

辞退をすればあっさり引き下がってくれるから、怖い思いとかはしなかったです。

このオーディションをやっても声優にはなれない、とは言い切れないけど(今後なるひとがいるかもしれないし、いないかもしれない。いまのところはいないよう)いまの時代、これで声優になれるひとは自力で発信してそれっぽいことはできる気がします。

あーでもね〜、スタジオとかでボイスサンプル作ってくれるのはでかいのかなあ。そういうのやりたいひとはいいかもしれません。

ひとつ言いたいことがあるとすれば、これオリジナルキャラクターを作ってくれるんですけど、声優になりたい人間はそういうの興味ないと思うよ、ということ笑

誰も知らないオリジナルキャラクターに声なんかあてても面白くないじゃん笑

みんなの知ってるあの作品、素敵なキャラクター、ドラマのある登場人物。そういったものに『あなたの声がぴったり!ぜひ演じてほしい!』っていうのが、声優になりたい人間の心は満たされるのよとは言いたいですね。自分とはかけ離れた性格や背景を持つキャラクターに寄り添えるかな、とかそういうのに憧れてるわけじゃないですか。

だからあなただけのオリジナルキャラクターを作ります、は大して惹かれるものではないですよ、とは言いたいです。

でも迷ったんだよね〜。

騙されているというか、先がないなというのは薄々思ったけど、それでも万にひとつの妄想に近い可能性に揺れたし、私は大学や専門学校に行かなかったから、そういう自分の人生?可能性?みたいなのにお金を使うっていうの、やってみたかったんだよね。

申し込んだの結構精神的にしんどい時期だったから、大金をかけるということで自分をかわいがりたかったのかもしれないね。

(これの一個前の記事を見ると、自分が大した人間じゃないと思いたかった、とかいうようなことが書いてあるけど、私の人生は基本的にずっとそれの繰り返しです。

大きな力とか存在に守られたいとかかわいがられたいとか、頼りたいとか大事にされたいとか、そういうのを無性に感じるときがあって、でもどうにもならないので自分で自分をなんとかしようとして、でもその欲求に完全に呑まれると自立して生きていけないので、自分で自分のほっぺを叩くように目の覚める状況を作ったり追い込んだりして『自分は大した人間じゃない』『私はひとに時間や心を割いてもらう人間じゃない。さもない存在だ。だから強く生きなきゃ!』って発破をかけて、ちょっと寂しく、だけどすんごい清清する!その繰り返しです。)

おとなになって大学の学部とか、専門学校の分野とまったく関係のない仕事をしているひとなんて、いっぱいいるじゃない?親に出してもらった何百万は良くて、これがだめなんてこともないと思います。自分が納得しているんならね。ただ悔いがないかをよく考えるのは大事。

だから、お金がめちゃくちゃあったら習いごとみたいなかんじでやったかもしれないね。でも847,000円あったらいろんなことできるなあってなった。歯医者行ったり保険入ったりな。こどもがいるというのもでかかった。

辞退してよかったです。

 

声優のオーディション受けてきた

面白半分で受けたし落ちるとわかってても緊張する。終わったいまでもまだ顔が熱くて高揚してる。なんなら落ちるとわかってても、とここに書いているけど、どっかで受かるような気もしてる。いや受かんないけどね。普通に考えて受からないけど、理屈と関係ないところで受かる気がしてる。でもそんなもんだと思う。自分の気持ちはそうとして、ここで受かっても落ちてもいい経験だと思う。受かったら受けて良かったし、つぎの審査が待ち受けている。そこでまたふるいにかけられる。落ちたら、他人にとって自分は大した人間じゃないって知ることができる。それはそれで、気が楽になる。生きる上で期待や可能性をそそのかされすぎて、人生の苦労の大半って、その目に見えない期待や可能性の重圧へのしんどさってときある。それが軽減される。だからきっと落ちたらそれなりにがっくりくるけど、気は楽になる。ひとはみんな自分の人生を生きてるけど、自分の人生が肥大しすぎるとひとは疲れる。私は気づくと人生が肥大しがち。うまくいってるとかいってないとか関係ない。勝手にフツフツと肥大する時期がある。暇なのか?散漫なのか?あと漠然とギャンブルがしたくなるときがある。そういうとき、たぶん昔は仕事をやめてた。でもいまの仕事はうまくいってるし、こどもがいるからどの道やめられない。仕事を辞めれなくて発散できなかったギャンブル欲がオーディションに行ったのかもしれない。いや、普通に資格取るとかしてよ。そこは。

総評としては楽しかった。ひとまえで台詞を読んで評価をされて。自分のために業界人が時間を取って、ボイトレもしてねえ34歳の子持ちのちょっと声優に憧れてるくらいの私の声を聞いてくれた。それだけですごいことだし、大勢の熱気に揉まれたのも楽しかった。良い経験だった。

オーディション受けるほど声優になりたかったの?って聞かれたら、え?みんななりたくない?って返す。みんななんかそういう非日常なものになりたいって妄想するでしょ?っていう。その程度のアレで受けました。申し込んだらオーディションしてくれるっていうやつだったからさ〜。

 

 

過去の自分と邂逅する

髪の毛を切った。かなり切った。とくに理由があるでもなく、美容院の椅子に座ったら、やっちまえ!みたいな気持ちになって「めちゃくちゃ短くしてください」と言っていた。だけのことなのだが、会うひとによって「随分短く切りましたね」のあとに「なんかあったんですか?」と探りのジャブをされたり、期待に満ちた目で「どうしたの?」と聞かれたりするので、ああ、なんか一エピソードいるくらい短く切ったんだな。と気づいた。自分では結構気に入っているが、おもしろかった感想としては「板前みたい」というのがある。

最近のビッグニュースといったら、新しい推しができたことにほかならない。

それもただの推しではない。知らないひとはいない大手事務所に所属する男性アイドルだ。自分があの大手事務所のアイドルにハマる日が来るなんて。思いもしなかった。人生はおもしろく不思議で、捉えようのないものだ。

自分としては「私の嗜好もついにここまで来たか」といったかんじなのだが、大手事務所のアイドルを好きになるという風通しの良さたるや。

自分では人生でもっとも危ない境地に立っていると思っているのに「最近、私J事務所の○○ってグループの○○好きで」と簡単にひとに言えてしまえて、簡単にひとに受け入れられることにびっくりする。

朝、職場のひとからラインが来て、なにかと思えば「4チャン出てるよ!!」だったりする。そういう健全な受け止めのされ方にハラハラする。

こんなにハラハラするのは結局私が腐女子的な目線で彼らを捉えているからかもしれない。かもしれないっていうかほぼこれか?これか。

私は相変わらず筋金入りの腐女子なので、彼らをもちろんそういう目でも見ている。さらっと雰囲気だけど小説も書いたし、もっとこってりしたのも今後書いていきたい。

でもふつうにアイドルとしての彼らを好きな自分もいて、そんな自分に驚くのだ。

最近思うのは、たぶんきっと私ってこういう人間だったんだろうな、ということだ。

自分はJ事務所のアイドルを好きになるなんてぜったいない。そういう人間だと思いこんでいたけど、結局それもみんな親に否定されたからなんだろうなとこのごろ思う。面と向かってされたわけではないが、横で悪し様に言われたりした。そういうことが多々あって、否定されたことにも気づかず、なんとなく自分はアイドルを好きにならないんだろうな、と思っていた。だから私はいま閉ざされた青春を楽しんでいるのかもしれない。

そしてそれと反するように、大人になって多少なりとも世の中の厳しさを知ったからこそ、彼らが眩しく映るのかな、という気もする。あんまり言いたかないが、やっぱり子どもを観るような目線で見てしまうときがある。そのわりに腐女子のフィルターで見てもいるわけだが。

ミッドサマー観た

観たんだけど、なんかもう評判が良すぎたね。ネタバレ観てないけどすごかったすごかったって聞きすぎて「あ、そういうことか」くらいの感じだった。観てる間ずっとすごいことが起こる!これからすごいことが起こるんだ!って身構えちゃってるのがだめだったんだと思う。映像とか音楽はすごくきれいだった。

私は嫌なこととか怖いことを、嫌なこと嫌だよね!!!怖いこと怖いよね!!!って描くのは芸術じゃなくて、人間の体験に頼ってるだけだろって考えを持っているんだけど、この作品はそういうところがすごく素敵だった。美学を感じた。微に入り細に入りこだわりを感じつつも、それがきちんと統合されて一本の作品に編み上げられている。繊細で美しい仕事が為されていた。

あとカスだな!こいつはカスだわ!ってやつがきちんとカスな目に合ってくれるのですっきりします。

これで私の正月休みも終わりだね……。

今年は映画たくさん観たいな。実際に観れるかはともかく、そういうことをまだ言って許される時期だから言いたい。というのはある。

 

明るく陽気な腐女子であれ

推しのどエロい小説を書いていた。ずっとずーっと、書いていた。似たような書き出しをまえもやった記憶があるが、ほんとうにそうなんだから仕方ない。山も落ちもなくただただ推しとその相手がセックスするだけの部分で18,000文字くらいいってしまった。言っておくがスマホでだ。文字数が増えていくにつれ、メモ帳アプリの動きがおかしくなってヒヤヒヤした。ちなみにトータルでは約45,000文字だった。もう本だろ、こんなの。オンラインであげる文字数じゃない。

とりあえずいまはまだ放心気味だ。反応をまったく期待しないわけではないが、書いたー!という達成感は、当たり前だがいつもよりでかい。

ただただエロいことをするだけの文章を18,000文字も書きあげると、ひとは虚脱感を覚える、ということを学んだ。

 

新年の挨拶もすっ飛ばして、下書きに入っていたままあげなかった文章をいきなりコピペする。去年の私を総括するとこれに尽きるからだ。ひたすらエロい小説を書いて書いて書きまくって終わったといっても過言ではない。

あ、推し活的なことでいうと、推しに払う金が増えた。秋から細々としたものではあるが仕事を始めたので、12月から月額980円のファンクラブ的なものに入会した。だから毎月推しに払う金が増えた。私の推しを思う気持ちが推しの糧となり、ひいては経済を回している。めでたい。

家にこもっての子育てから社会と関わる活動をするようになって、いろいろ変化もあったのだがまあそれはまたの機会にして、今日はせっかく元旦なので、推し活にまつわる新年の抱負を述べたい。

ズバリ明るく陽気でいよう、ということだ。

このごろ、めちゃくちゃ当たり前かもしれないけれど、推し活とオタ活と腐女子活(二次創作活動)はまったく別物なのかもしれない、と気づいた。

まったく別ではありながら、みんな推し活何割オタ活何割腐女子活何割といろいろブレンドしながらやっているのが実情かもしれないな、と。

でまあそうなると、私の推し活は結局二次創作に吸収されていくアレなので、大きくいえば結局のところただの腐女子なのかもしれない。

なので、そこを踏まえて改めて抱負を言い直せば

明るく陽気な腐女子でいよう、ということになるだろう。

二次創作活動なんて言い切ってしまえば、他人の褌で相撲を取っているに過ぎないのだが、やってる人間は本気も本気、痛いくらいの本気だったりする。だから本気でやったことがうまくいかないと当然人間落ち込むこともある。そういうときこそ、原点に立ち返って、私はなんのために推し(腐女子的な目線で見ればド受)にここまでのめり込んでいったのかを思い出したい。そういうときに見返すために、いまこのブログを書いている。

私が推し活を始めたのは、生活の楽しみのためだ。

苦しんだり、だれかを恨んだり、悩んだり、醜い感情を発生させるためではないし、人間としての自分の質を落とすためにやっているのではない。

なんなら、仮にではあるが推しに会ったとき恥じることなく向き合える人生を歩みたいし、そういうひとでありたい。

かなり傲慢ではあるが、推しに出会ってから、あなたはもっと素敵になったと言われたい。ひとに言われなくてもいいが、推しに出会う前より出会ってからの自分のほうが成長していたい。(これは成長をするために推しを利用するという考え方ではない。私はそんなせせこましい人間ではないし、精神的向上の見込めないものには価値がないとみなしているタイプでもない。そこは強く主張する)

それにあたって、なにより忘れてはならないことは、彼は私にとってきっかけややりがい、ミューズになることはあっても、答えになることはないということだ。

私が彼にたどり着いたことが答えになりえても、彼自体が答えではないし、彼が答えを持っているわけではない。

もっとわかりやすく言えば、彼は私を幸せにはしない。彼のなにかを摂取した私が幸せになることはあっても、彼が能動的に私を幸せにすることはない。私はそれを忘れてはならない。ひとは現実を知っているからこそ、夢を構築することができるのだ。現実と向き合っていない人間の見る夢は、危険なものだと思うし、もうそういう無秩序な夢を見る体力が、私にはない。

私は彼を予感や意味や気持ちで縛りたくない。彼は彼であって、彼の活動に私が笑ったり泣いたりしている。ただそれだけのことだ。そしてそれはとても、とてもとても幸せなことであると思う。

彼に対する自分の気持ちを疑って自分を試したり、自分の気持ちを証明するために誰かを攻撃したり、内心であざ笑ったり、自分とだれかを比べたりしたくない。

以上が私の新年の抱負だ。

おなじ空の下で、自分の生活の充実のために、私は今日も推しの幸せを願っている。

私が推しを作った理由

5万さんのブログが、このところ活発になってきた。

https://tengoku-match.hatenablog.com/

このブログを読んで、もう彼女が3年もおなじ俳優に熱を上げていることを改めて知った。

リアルタイムで、側近くで、彼女がものすごい勢いで俳優沼にのめりこんで行くのを見ていたものだが、そうかもう3年も経っていたのか〜と感慨深くなった。

今日は私が推しを作った理由を書いていこうと思う。

5万さんが私に最初にした、その俳優にまつわる話題を覚えている。

「俳優のイベントに行って『チェキ』なるものを撮った」

というものだ。

そのまえから、兆候は十分にあった。

その俳優が出てる舞台をU-NEXTで観たら、とても良くてDVDを買ったから一緒に観よう、と誘われたりした。

実際観てたしかによかったが、その舞台は私たちがふたりとも二次創作をしていて、知り合うきっかけとなった作品だったから、私としては俳優沼のカテゴリーではなく、あのころはまだ二次創作のカテゴリーだった。もっとも、5万さんのなかではそうじゃなかったかもしれないが。

その『チェキ』というものの話を、私はそれは楽しく聞いた。まったく知らない世界だったからだ。そんな世界があって、その世界のなかにはそういう独自のルールがあるのね〜、と5万さんの好きなことの話を聞くというより、潜入取材の話を聞くような感覚だったと思う。

親しいひとに新しい話題が増えるのはとても喜ばしいことだし、私は5万さんの妙な行動力が好きなので、軽い気持ちで「また行ったらその話聞かせて〜」くらいのことは言ったと思う。

5万さんはそのとおりにした。会うたびに私に『チェキ』の話や、舞台の話、俳優界隈の話をしてきた。彼女と会って話す内容のなかで、俳優カテゴリーにまつわるものの比重がどんどん大きくなったころ、私は『茶の間』というエグいことばなんかも覚えた。

5万さんの話は知らない世界で、それでいて生臭くて、人間のドロドロが詰まってて、それだからどこか所帯じみていて、だからおもしろかった。

気づけば彼女に会ったら俳優カテゴリーの話をメインにするのが当たり前になっていたし、そのころには私も「5万さんにとって、俳優にまつわるものってちょっとしたおもしろ話ではなく、どうやら人生を傾けているらしい」とわかってきた。

そんな交流が続くなかで、私は次第に思った。

 

5万さん、当分はこの話をまだまだしそうだ。

彼女がこの話をしている間、私はなにを話せばいいのだろう。と。

 

5万さんが俳優にハマるまえ、私たちがどういう話をしていたのか、実はもう思い出せないのだが、おそらくはもっとラリーのように、相互で語り合ったりしていたと思う。

片方が出した話題へ、片方が思わぬ切り返しをして、また話題が広まっていく。持参した話題が、話す前より話したあとのほうがもっともっと理解が深まる。5万さんと話すのが私は好きだった。それは楽しかった。彼女はいつも、私にない視点でものごとを見てくれ、素直な疑問を口にしてくれ、私もまたおなじようにできていたと思う。彼女と話すのはとても実りある時間だった。

彼女が俳優の話をするようになってから、私はもっぱら聞き役になっていた。知らない世界なので、なんと返したらいいかわからなかった。

最初はそれも楽しかったが、俳優のファンが俳優に対して抱くモヤモヤも、俳優のへんな自意識も、遠巻きだとみんなおなじことの繰り返しに見えて、すぐに飽きてしまった。

二人で会ったあと、楽しかったはずなのになぞの不完全燃焼感が残ったりした。

私はまた、5万さんとことばのラリーがしたかった。

相互作用で高まって、元気が出るような会話がしたかった。

5万さんが俳優にのめりこんだここ3年は、私の人生もなかなか変化に富んだ時期で、ここらでテコ入れをしないと彼女とも疎遠になっちゃうかもしれないな、という危惧もあった。おとなの友情は仲違いで終わるのではなく、意識していないとなんとなーく薄くなっていってしまうものだ。

そんなとき、彼が私の目の前に現れたのである。そう!私の推しだ。

このひとのこと、なんとなーく好きだなーって思うし、5万さんが俳優の話をしたときは、このひとの話をすることにしよう。そうしたら、たぶんもっと実りのある会話ができるにちがいない。

なんとなくそんなことを思いながら、冷静なふりをしながら、私はなだれこむように推しにハマって、そしていまにいたる。

 

結論から言うと、この判断は正解だった。

私の5万さんの話の理解度は推しの存在によって飛躍的にあがったし、取り留めのないモヤモヤも理解ができるようになった。

彼女が俳優への思いをぶつけるとき、私もまた推しへの愛を語る。会話がまたラリーになった。

三次元の推しっていいもんだなあ。

自分が推しを作って、また改めて彼女を見てみるとそう思うようになった。

しかしさして時間の経たないうちに、私は推しをあんあん喘がせる二次創作をするようになったので、自分の性根は骨の髄まで腐女子なのだということも、また思い知ったのだった。

いま、また5万さんと話すのが楽しい。彼女もまたそう思ってくれているといいと思う。