ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

魂を売って妄想を買う

遅れていた生理がやっと来た。私は昔から推しを作るとすぐにホルモンバランスを崩す。きっと身体が恋愛モードに入って、なにかを期待しているのだろう。だから私の生理が遅れたのは推しの彼のせいだ。あと痩せる。これは趣味に没頭してもそうだ。楽しいことにのめり込むと、あっという間に文字通り寝食を忘れてしまう。裏を返せば、普段どれだけ食べることをよりどころにしているかということだ。

さて、先日推しのnoteを買った。一ヶ月300円のマガジンと100円の過去記事を一本買った。

つい前回の記事でnoteを警戒しているので手が出せない、と書いたその舌の根の乾かぬうちにだ。私は自分のポリシーを捨てて悪魔に魂を売った。

けれどこのごろ、自分が信じることや譲れないことなんて、必死に握りしめ、しがみつきするものではなく、こんな風に瓦解されるためにあるのかも、なんて思う。こだわりや決めつけ、思いこみを手放すたびに、私の人生は楽になり、自分というものにしがみついているときより、私は自分自身になった。長年頑なに握りしめていた拳をパッと広げてみれば、手のなかにあったこだわりは意外としょぼくれていて「どうしてこんなものを持っていたのかしら」「一生譲れないと思っていたけど、よく考えたらこのこだわりは環境が変わったいま意味がないわ」とか、そういうことってよくあることではないだろうか。

いろいろと書いたが、結局は推しの過去に書いたブログをぜんぶ読んでしまって、推しのなにかを!摂取したい!せねば!となったのだ。端から端まで、ネットの海に沈んでいたものはもうぜんぶ読んでしまった。つもりだ。むしろ、もしまだどこかに推しが過去に書いたものがあるのなら教えてほしい。すぐに読みに行くから。

推しを好きになって間もないころ、有料noteで日記を書いていると聞いたときは(意識高いな〜)とあまりピンと来なかった。というかちょっと感じが悪いな、くらいに思ったし、無料公開されている記事も、とりたてて言いたいことや結論の見えない文章で、なんだか頭に入らず、お金を払って読みたいと思わなかった。

しかしそこからすこし時が経ち(ほんとうにわずか1、2週間程度で)推しの過去のブログを読んでから、もう一度無料公開記事を読んでみたら、以前と見えかたがまったく変わっていたのだ。

これは、まず私が推しの文章に慣れたのだろう。

推しは自分でも書いていたが、文章を読んで『これが言いたかったのか』と明らかにされるのが好きじゃないのだという。(でも言いたいことはなにかしらあって、それはちゃんと書いているらしい。なおさらよくわからない)私からすると、ならなんで書いているの?伝えたいことがあるから書くのではないの?と思うのだが、彼はそうではないらしい。

推しは私がたぶんこれまでに関わったことのない人種で、知れば知るほどわからないし、像をつなげられないひとだ。(そしてたぶん像をつなげられたくなくて撹乱させている。賢く根深くシャイなひとらしい)だが、彼は文章を書き続けたい、書くことをやめられないひとだという、自分の分析にはかなり自信がある。

推しの昔のブログを読むと「一週間で誰もアクセスしていない」と言いながら、かなりの文字数の記事をあげている。それも何日も。すごくしょうもない内容で。リアルな日記じゃなく、あんな軽い内容でそれなりの量の文章を、きちんと組み立てて書くのはなかなかすごいし、ある種狂気だと思う。

敬遠していたnoteの購読を始めたのは、あの青臭いブログと意識の高い有料日記は地続きなのだと思い至ったから、というのも大きい。どうしても書き続けていたい、という推しの業というか癖というかを追いたくなったのだ。

有料なのもきっと、推しも男子大学生のころとはちがって大人になったし、立場もあるから『お金を払ってまで見てくれてるひとがいるんだから』という時間を割く大義名分がほしいのかもしれない、と大変好意的に受け止めることにした。だって彼は私の推しだからだ。推し活は盲目的であるべきだ。そのほうが自分も楽だ。

そうそう。霞がかった推しの文章の話だった。以前は上滑りしてちっとも私の心と頭に響かなかった推しの文章が、過去のブログや盲目的な愛情の末、このごろきちんと頭に入るようになった。でなければやっぱり課金の壁は越えられない。推しが隠しつつも書いている、言いたいことも受け取れている気がする。

しっぽを出さない推しの文章を読むことのなにがいいかって、推しが意識せずにぽろっとこぼす本音があるということだ。

嘘も、有耶無耶も、ごまかしも、詭弁も。ひとりの人間の頭からつむぎ出されている以上、感覚や本音、本人の根底にあるエッセンスに由来する。そしてそれをまったく抹消することはできない。隠してもときたま垣間見えてしまったそういう欠片が、推しの文章を読んでいてこのごろ見えるようになった。その小さな欠片を大事に大事に拾い集めながら、推しの文章を読むのが楽しい。

のどかな河原に私と推しが二人きりで、彼は穏やかな川の流れをなにをするでもなく見ていて、私はその背中を眺めながらきれいな小石を探している。背中に当たる春の日差しが気持ちよくて。ああ幸せだな〜。そんな絵が頭に浮かぶ。

思わず妄想の世界に旅立ってしまったが、文章のなかに恥じらいがあるなんて、私の推しってすごくセクシーな人間ではないだろうか。

noteの日記でいちばんテンションがあがったのは、推しが仕事部屋を借りたことだ。

仕事部屋!

なんと甘美な響き。

夢女の私も、腐女子の私も、その単語と写真に大いに沸いた。仕事用の部屋なんて、最高の舞台装置ではないか。その事実は、私の妄想の展開を幾重にも広げてくれた。それだけでも300円の価値は充分にあった。ありがとう推し。

ちなみに私が「悪魔に魂を売った」と思った瞬間はnoteの会員登録が済んだときではない。あのときの私はまだ心まで屈していなかった。

そのすぐあと、推しのnoteを購入した際に、彼のアイコンにフキダシで「最高〜〜〜〜!!!!!」と話しかけられたときだ。

スクショ撮った。