推しのどエロい小説を書いていた。ずっとずーっと、書いていた。似たような書き出しをまえもやった記憶があるが、ほんとうにそうなんだから仕方ない。山も落ちもなくただただ推しとその相手がセックスするだけの部分で18,000文字くらいいってしまった。言っておくがスマホでだ。文字数が増えていくにつれ、メモ帳アプリの動きがおかしくなってヒヤヒヤした。ちなみにトータルでは約45,000文字だった。もう本だろ、こんなの。オンラインであげる文字数じゃない。
とりあえずいまはまだ放心気味だ。反応をまったく期待しないわけではないが、書いたー!という達成感は、当たり前だがいつもよりでかい。
ただただエロいことをするだけの文章を18,000文字も書きあげると、ひとは虚脱感を覚える、ということを学んだ。
新年の挨拶もすっ飛ばして、下書きに入っていたままあげなかった文章をいきなりコピペする。去年の私を総括するとこれに尽きるからだ。ひたすらエロい小説を書いて書いて書きまくって終わったといっても過言ではない。
あ、推し活的なことでいうと、推しに払う金が増えた。秋から細々としたものではあるが仕事を始めたので、12月から月額980円のファンクラブ的なものに入会した。だから毎月推しに払う金が増えた。私の推しを思う気持ちが推しの糧となり、ひいては経済を回している。めでたい。
家にこもっての子育てから社会と関わる活動をするようになって、いろいろ変化もあったのだがまあそれはまたの機会にして、今日はせっかく元旦なので、推し活にまつわる新年の抱負を述べたい。
ズバリ明るく陽気でいよう、ということだ。
このごろ、めちゃくちゃ当たり前かもしれないけれど、推し活とオタ活と腐女子活(二次創作活動)はまったく別物なのかもしれない、と気づいた。
まったく別ではありながら、みんな推し活何割オタ活何割腐女子活何割といろいろブレンドしながらやっているのが実情かもしれないな、と。
でまあそうなると、私の推し活は結局二次創作に吸収されていくアレなので、大きくいえば結局のところただの腐女子なのかもしれない。
なので、そこを踏まえて改めて抱負を言い直せば
明るく陽気な腐女子でいよう、ということになるだろう。
二次創作活動なんて言い切ってしまえば、他人の褌で相撲を取っているに過ぎないのだが、やってる人間は本気も本気、痛いくらいの本気だったりする。だから本気でやったことがうまくいかないと当然人間落ち込むこともある。そういうときこそ、原点に立ち返って、私はなんのために推し(腐女子的な目線で見ればド受)にここまでのめり込んでいったのかを思い出したい。そういうときに見返すために、いまこのブログを書いている。
私が推し活を始めたのは、生活の楽しみのためだ。
苦しんだり、だれかを恨んだり、悩んだり、醜い感情を発生させるためではないし、人間としての自分の質を落とすためにやっているのではない。
なんなら、仮にではあるが推しに会ったとき恥じることなく向き合える人生を歩みたいし、そういうひとでありたい。
かなり傲慢ではあるが、推しに出会ってから、あなたはもっと素敵になったと言われたい。ひとに言われなくてもいいが、推しに出会う前より出会ってからの自分のほうが成長していたい。(これは成長をするために推しを利用するという考え方ではない。私はそんなせせこましい人間ではないし、精神的向上の見込めないものには価値がないとみなしているタイプでもない。そこは強く主張する)
それにあたって、なにより忘れてはならないことは、彼は私にとってきっかけややりがい、ミューズになることはあっても、答えになることはないということだ。
私が彼にたどり着いたことが答えになりえても、彼自体が答えではないし、彼が答えを持っているわけではない。
もっとわかりやすく言えば、彼は私を幸せにはしない。彼のなにかを摂取した私が幸せになることはあっても、彼が能動的に私を幸せにすることはない。私はそれを忘れてはならない。ひとは現実を知っているからこそ、夢を構築することができるのだ。現実と向き合っていない人間の見る夢は、危険なものだと思うし、もうそういう無秩序な夢を見る体力が、私にはない。
私は彼を予感や意味や気持ちで縛りたくない。彼は彼であって、彼の活動に私が笑ったり泣いたりしている。ただそれだけのことだ。そしてそれはとても、とてもとても幸せなことであると思う。
彼に対する自分の気持ちを疑って自分を試したり、自分の気持ちを証明するために誰かを攻撃したり、内心であざ笑ったり、自分とだれかを比べたりしたくない。
以上が私の新年の抱負だ。
おなじ空の下で、自分の生活の充実のために、私は今日も推しの幸せを願っている。