ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

私からあなたへ

ブログに初めての記事を書いたあと、友だちにここのリンクを送ってみた。
私は友だちが二人しかいないのだが、ここに出てくる友だちというのは以前の記事で触れた「推しと5分話すために5万払った」ほうの友だちだ。もうひとりの「ハイドを崇拝している子持ち」のほうの友だちは、たぶんこのブログには出てこない。私のいまの推しを知らないからだ。推しがどんなひとか話して彼女がなんというか聞いてみたい気もするが、なにぶんお互い小さい子どもがいていそがしいのでやめておこう。
さてその私のいまの推しを知っているほうの友だち(ややこしいので以後彼女の通称は5万としよう)がブログを読んだ感想は
「ブログのタイトルの『ラッキープラネット』っていいね」
だった。
これはまったく予想通りだった。5万さんは宇宙とか星とか、そういうものが好きなのだ。
ラッキープラネットというタイトルは、かつて妊娠中にブログを作ったときにつけたものだ。推しという存在に浮かれたあまりにつけたわけではない。でもいまの状況にしっくりきているな、と気に入っている。
妊娠中つわりがひどかった私は、あるとき突然テレビで人間の顔を見るのにうんざりしてしまった。
かといって本を読むのも文字を追うのが気持ち悪いし、大好きな塗り絵も酔いそうな気がする。妊婦はあまり動けないので、消去法でやっぱりテレビが観たかった。
そしてたどりついたのが、ネイチャードキュメンタリーだった。(動物の一年とかをやるやつね)映像もきれいで、地上波のバラエティ番組よりもずっと静か。胎教にも良さそう。手に汗握らずぼんやり見ていられる。言うことなしだった。
ラッキープラネットという言葉は、とあるネイチャードキュメンタリーで出会った言葉だった。
なんという番組か、どんな内容かも忘れてしまったが
『地球は生物にとって幸運な惑星です』
みたいな字幕を追いながら聞いた「lucky planet」という単語だけがやけに印象に残った。
luckyとplanetの並びが自分のなかで新鮮だったのもそうだが、多くの偶然が重なり、地球に生物が繁栄したことをたった一言、それもとてもシンプルな単語ふたつ並べて、lucky planetで済ませてしまえる、言い切ってしまえるそのテンションがすごいと思った。
そもそも地球に生物が誕生し、繁栄して、やがて人類が生まれ、文明を築き……。というのが果たして「lucky」といえるのだろうか。とかそういうことを、絶対に考えないひとが言ったにちがいない。
番組の尺とかいろいろあるにしても大味にもほどがあるのでは、という気持ちと、その言葉の豪胆さやポジティブさをまぶしく感じた。
妊娠期間は、私にとって人生で一二を争うほど苦しくて辛いものだった。まずつわりが壮絶だった。毎日起き上がることもできず、常に気持ち悪さと吐き気。いくら吐いても止まらず、最後は吐くために水を飲んでいた。そして妊娠糖尿病。重いつわりのなかやっと食べられていたものも制限しなければならなくなった。病気に理解のない人間の無神経な言動にも何度か泣かされた。ネイチャードキュメンタリーを観ている時期はまだ家にいたが、後期には切迫早産で入院もした。
そんな状態だったから「lucky planet」という単語がひときわ響いたのかもしれない。
空っぽのブログを「ラッキープラネット」と名付けた昔の自分に、教えてあげたい。
私はそれはかわいい元気なこどもを産んで、毎日世話に追われて、いつも疲れているけど、うんと幸せに暮らしていることを。忙しい日常の合間に恋に似たような楽しみを見つけたことを。「推しがいるからここはラッキープラネット」なんて言えるくらいには、この言葉に含まれる豪胆さとポジティブさを手に入れた気がするよ、と。

また推しの話をぜんぜんしていないな。
しかし推しを思うとき、私はまた推しを愛でる余裕のある人生の幸福を噛みしめるので、これは推しの話でもある。
ああ、私は今日も推しのことが大好きだ。




追記
この記事をあげた翌日、ハイドを崇拝している友だちに「推しができたんだよね。YouTubeとかやってるひとなんだけど……」という話をしたら「実在するの!?」と言われた。彼女は私が伊達丸眼鏡関西弁の中学生に狂った時代を知っているので、推しが三次元で驚いたようだ。