ラッキープラネット

推しがいるこの星はラッキープラネット

推しの話しかしない

好きになった推しがインターネット人だった。
インターネット人ってもちろん造語なんだけど、まあネット(インターネット、SNSYouTubeなど)で活躍するひとってかんじかな。

推しはインターネットで10年以上活動している。なので以前から知ってはいたんだけど、2年くらいまえからついにYouTubeも本格的に始めた。テレビでYouTubeばかり観ている私はなんとなくそのチャンネルを観るようになり、気づけばYouTube内でメインMCをする推しが推しになっていた。
妊娠出産を期にTwitterから足を洗った私は、その穴を埋めるようにYouTubeを観るようになった。まえから観ていたけど、もっと観るようになった。我が家のテレビは、地上波の番組よりYouTubeが流れている時間が圧倒的に多い。
YouTubeっていい。そんなに真面目に観なくていいところがいい。おもしろくなくない?って舞台鑑賞が趣味の私の友達は言ってたけど、ぶっちゃけおもしろさなんか求めてない。だからそのときははっきり「つまんないよね」って言った。
妊娠してから、ましてこどもが産まれてから、おもしろいものをじっくりどっぷりと浸かるように観る集中力も心の余裕もない私にとって、YouTubeはちょうどいい存在だった。
家も汚いしね。汚い家で映画とか観ても集中できない。こどもがいると家に簡単にものが増えるしね。
YouTubeって一言に言ってもいろんなジャンルがあるけど、私は男性グループのYouTubeを主に観ている。彼らがわちゃわちゃ大食いしたり、バカなことをやってるのを観るのがおもしろい。(これは私が腐女子なことと多少関係していると思う)。
年甲斐もなく、わーわーと楽しそうにしている彼らを観ると「終わらない夏休みだなあ」と思う。彼らは時間がそれはもう無限にあって、永遠の夏休みを過ごしている気がする。楽しくて終わらない永遠の夏休み。日々の子育てに追われる身からすると、そういう時間が無限にあるからバカなことやってみるわ、みたいなノリが癒やされる。本当のぜいたくってこういうことよね……と眩しい気持ちになる。
これを夫に話したら「彼らも仕事でやってるから現実はちがうと思うよ」と言っていたけど、そういうことではない。仕事でやっているなんて、そんなことは私も十分にわかっている。現実とか、実際のところとかはどうでもよくて、時間がた〜くさんあって、ある種無碍にしてるように『見える』のがいいのだ。私も片付いた部屋で気が済むまで塗り絵をしたいなあ、とか思いを馳せるのが、日々の癒しになるのだ。
なによりいちばんの長所はつまらないから執着しないで済むことだ。私は器が小さいので、こどもの昼寝中に重厚な映画を観はじめて、世界にどっぷり浸かったところでこどもが「うえええ〜ん!」ってなったら、やっぱりちょっと不完全燃焼な気持ちになる。これがYouTubeだったら「あ、泣いた!」ってすぐに気持ちが切り替えられる。べつにオチが観れなくてもモヤモヤしない。
私にとっては日常の一コマだけど、こどもからしたら幼少期の大事な記憶なわけで、下手したら親の接し方が一生を左右するかもしれない。だから映画やドラマに気を取られることなく、できるだけ育児に専念したいのだ。
YouTubeならまた後で見返せるし、なんなら一本の動画は10分前後しかないから気が楽だ。2時間の映画ではこうはいかない。途中から再生するのはちょっと味気ないし。
これは推しの動画でも変わらない。メインMCと書いたから重複になるかも知れないけど、推しもグループでYouTubeをやっている。現在のYouTubeの動向を見て「男性グループでやったほうがいい」と分析して、いまの形になったのだろうか。なんてとりとめのないことを考えたりする。

推しの話をするはずが、YouTubeの話になっていた。
YouTubeの話はまた書くとして(書くの?)とにかく推しはそうして、私の人生の節目にぴったり合う形で入ってきたということだ。間男のように。間男のように。これを言いたかった。
推しに対して、どういう気持ちを抱くのかというと、いま言ったように恋愛っぽい、いわゆる夢的な目線で私と推しのダブル不倫(推しは既婚者でお子さんもいる)を妄想するときもあれば、私は腐女子なので「YouTubeで一緒に出てる○○さんとのえっろい同人誌誰か書いてないの!?なんでないの!?世の中狂ってる!!」と血眼になってpixivを探すときもある。(なんならなかったから自分でも書いている。書き上げたときどうしようかなって思ってる。三次元の推しなので、気軽に公開できないよね。でも友達が読んでくれるって約束してくれたんでいいんです)かと思えば、推しの昔の活動を掘り起こして、推しがYouTubeで温和な笑顔でメインMCをするようになるまでの来し方に「推し、すっごい、がんばってここまで来たんだな……すごい……えらい……」と感激のあまりIQを低くして胸を熱くしたりもする。
たったひとりの推しでこんなにいろんな種類の感情を揺さぶられてものすごくお得だなあと思う。推しは金のかからない趣味だ。
そう、私はいまここで便宜上彼のことを「推し」と呼んでいるが、彼に自分のお金をおとしたことはまだ一度もない。
YouTubeを観ているから、再生数には貢献しているが、やっぱり「推し」って定義には「課金」が入っている気がする。友達なんて推しとズームで5分話すために5万払ってたし。なので厳密にいうと彼は推しではないのかもしれないと思いながら、でも名前を出すのははばかられるし、便利なので「推し」を使わせてもらっています。課金はしていないんだけど『面識がない雲の上の存在だけど、心を揺さぶって毎日をキラキラさせてくれる存在』って、もう推しとしか言いようがなかったんだよね。なんかほかにいい言葉ありますかね。(いまちょっと考えたら光る君しか出てこなかった私は大の源氏物語好き)そう考えると『推し』って言葉はすごい。言葉とともに概念が産まれたよね。でもたぶん使う男の言う『推し』と女の言う『推し』の概念は微妙にちがう気がするね。
また話がそれたけど、とにかく推しへの思いが日増しに強まって仕方がない。
一週間くらいまえまでは「推しとセックスしたい!」って思ってたんだけど、だんだん「セックスより普通にキスしたい。なんかそっちのほうがエロくない?」になり、そしていまは「なんかきれいな部屋で清潔なシーツの大きなベッドで、推しとジャレあって頭を撫で合ったりくすぐりあって笑い合ってほっぺにキスしたりっていう、セックスを一度濃縮してから希釈したようないちゃいちゃがしたい」ってだいぶなんか煮詰まってきた。
いっそただひたすらこういうことをつぶやく気持ち悪いTwitterのアカウントを作ろうかなと思ったんだけど、私は妊娠したときにTwitterから足を洗ったし、それはちょっと抵抗があった。インターネット人の推しを追うのにはTwitterあると便利なんだけどね。あれはほんとうに時間泥棒だし、しがらみがすごくて私には向かなかった。
でも妊娠中の私はTwitterをやめるときたぶんこう思ったんでしょう。
「一度自己発信の魅力に目覚めた自分がおいそれと手を引けるだろうか」と。
だからどうしてもなにかを発信したくなったときのために、はてなブログのアカウントを作った。

――っていうのをさっき思い出したんですよね。
というわけで、今日からここを推しへの思いのはけ口にします。
ここでは推しの話しかしないです。



結論:家の掃除をしましょう。